京都紅茶道部支配人みこどんの追記

国産紅茶の事や国産紅茶専門サイト京都紅茶道部の記事ついての解説などを書いてます。

紅茶はどうやって淹れるべきか

・お茶を淹れるということは科学である

茶は一定条件を満たすと茶葉の中の成分が出てくる科学です。

ですが、あらゆる細かい設定のもと、紅茶を入れなければいけないかというとそうでもなく、基本的なことさえ守れば、あとは枝葉です。

 

紅茶を淹れる時の基本は

①100度に限りなく近い熱湯であること

②きっちり淹れる事

③それを守ること

 (出展:京都紅茶道部『国産紅茶は何で淹れるべきか』

これさえわかっていれば、どんな紅茶もちゃんと淹れられますし、他の細かいことは所詮枝葉の事柄です。

ですが、それから目を背けてひたすらに重箱の隅を突くというのが今の紅茶が取り巻く環境と言えます。

『日常茶飯時』と言われるくらい、食べ物とお茶は日常の事と認識されています。

ですが、未だにその誤解が多くその誤解が故に誤った妄想と権威付けが行われているのが紅茶を始めお茶という業界と言えるのです。

・紅茶業界に蔓延る不思議な『家元制度』と不思議な『紅茶教室文化』

紅茶業界には『お茶は日常のもの』といいながらも誠に不思議なシステムが2つほど存在します。

一つは会員や資格による『家元制度』、そして『紅茶の先生』という摩訶不思議な人たちによる『紅茶教室』なる習い事です。

 

 家元制度とは、団体や協会などが出しているいわゆる資格制度もふくまれます。

『紅茶を教えるための資格』と言われながら、それを充分に活かせず死蔵させたまま毎年の会費を延々と支払い続けている人も多くいます。

紅茶を教えることということが認可資格ではなく、誰でも出来るからということもあります。

例えば、協会や団体の資格を持っていなくても、有名な紅茶専門店で10年働きました。というだけでもそれは充分なブランドになります。

そう言う一種の暖簾分けみたいな場合は、いわゆる『家元』に毎年お金を支払わなくても良いわけで、尚且つ紅茶に関わる知識は有資格者かそれ以上を有している名実ともな『専門家』ということに成ります。

『専門店に勤めないととダメか』というとそうではなく、例えば土日の休みだけバイトをさせてもらうとか、僕のように個人で飲むために延々と技術を磨いて一部の物(僕は国産紅茶)に没頭して行ったら、他の人から『専門家じゃなかったの?』と言われ名乗りだすという例もあります。

専門家であるなら枝葉は必要ですが、『毎日おいしい紅茶を飲みたい』という程度でしたら、別に専門知識は必要なく基本を徹底的に身に付ければいいということになります。

思いの外、紅茶というものは専門家も含めて『周辺のいろいろ』が大事と思う傾向があり、協会や団体もこぞってそればかり取り上げるので、日常のものにするどころか敷居の高いものにしてしまっているのです。

そういう敷居の高さの上に『家元制度』があるので、より一層堅固にしてしまうのかもしれません。

 

紅茶教室文化と言うのは、家元が総合病院だとすると、教室は街の診療所です。

ですが、この街の診療所も、紅茶の淹れ方を教えるのではなく多くは『お茶会の飾り方』『自慢できる道具のレクチャー』『なぜか英国式のお作法』などなどを教えるもので、紅茶の基本を丁寧に教えるという雰囲気ではありません。

紅茶教室は、紅茶そのものの認知を広げ、口にする機会を増やしたことは成果がありますが、結果として『紅茶はこういうスタイル』という固定概念を産み、『こうでないと紅茶ではない』という思い込みを根付かせる結果になりました。

紅茶の文化を世界的に見ると、別に英国式が正式なわけではなく、モンゴルでもチベットでもインドでもアフリカでもイスラム諸国でも各々の国にそれぞれの紅茶文化があります。

それらを並べてみてどれが高級でどれが下級ななどランク付けをするとう言うのは非常にナンセンスです。

同じ紅茶を使って紅茶を飲むという文化にもかかわらず、各々に貴賎を作ってしまい、結果紅茶そのものを広めるための弊害になっているというのが現状です。

 

今、日本において紅茶を広めているのは、間違いなくペットボトルです。

上記の家元制度や紅茶教室などではありません。

 

・紅茶を始めお茶を『大衆化から引き離しているもの』

 文化としての家元制度や教室を否定することは出来ません。

ですがそれは文化としての枠を超えないようにして、如何にお茶を『日常茶飯』にするかを考えないといけません。

手軽に淹れられる・手軽に飲めるということは、非常に日常化をする上で大事なことです。

ですが、延々と『飲み物としてのお茶』だけを出し続ければいいのかと言われればそうではありません。

 

ペットボトル等のお茶の位置づけは飲み物です。

それがなければ他の清涼飲料を飲むでしょう。

それで先細りを始めれば、お茶というものの存在価値は失われます。

 

参考になる例をあげるとしたらインスタントラーメンが上げられます。

インスタントラーメンは手軽に食べ物を作れるものです。

その手間とは『熱湯を注ぐ』もしくは『熱湯で煮る』です。

実はこの一手間は、お茶と同じで口に入れるという目的も同じです。

日本最古の紅茶専門店ムジカのオーナーは、紅茶をインスタントラーメンと同じと例えていました。

 

このように、同じ一手間で作れるものを方や便利なものと方や面倒なものと分けているのは、間違いなく先に作られた先入観のせいでしょう。

 

紅茶を大衆化させるためには、その先入観を打ち砕く事が重要となるのです。